発明や開発ができる人とできない人とがいます。発明や開発ができる人は考えることが好きで覚えることが嫌いな人だと思います。一方、発明や開発ができない人は考えることが嫌いで覚えることが好きな人でしょう。勉強が好きで大人になっても勉強ばかりしている人は覚えることが好きなのです。このため、発明や開発は苦手のようです。
むしろ、子供の頃からあまり勉強しないで、遊び方を工夫したり、人を笑わせたりしている人はいつも考えている人ですから、考えるのが好きな人なのです。あなたはどちらですか、考えるのが好きですか、それとも覚えるのが好きですか?
学校の勉強というのは、教科書に書いてあることや先生に教えてもらったことを理解して覚えることが中心になるので、子供の頃から勉強ばかりしていた人はあまり考えることがなかったと思います。筆者の経験では、勉強というのは80%以上が理解して覚えることで、考えることは20%以下です。中には理解すら必要がなく、単に丸暗記するだけというものもありました。
考えることは、例えば、作文をすること、絵を描くこと、工作をすること、自由研究をすることなどです。要するに創作をすることです。昔から創作が苦手な人が多いようです。その原因は、試験勉強ばかりやらされていたからです。中間テスト、定期テストだけでなく、頻繁に行われる小テストなどもありました。
入学試験はもちろん、資格試験のための受験勉強なども、ほとんどが理解して覚えることです。要するに、過去の人が考えたことや発見したことを理解して覚えることです。別の言い方をすれば、すでに答えがある問題を解いて答えを出すことです。よって、試験に合格するには、問題に対する答えを知っているか、答えの出し方を知っていれば良いのです。要するに、記憶していれば良いのです。ほとんどの試験は記憶を問う問題なのです。これほどつまらない問題はありません。なぜなら、考えさせてくれないからです。
勉強することが面白いと思う人は、難しい問題が解けたからでしょう。つまり、ほとんどの人が知らない答えを知っていたか、答えの出し方を知っていたからです。しかし、それは、誰でも努力すればできることです。なぜなら、理解して覚えることを、何度も何度も繰り返し行っていれば、誰でも記憶することができるからです。しかし、発明や開発は努力してもできないのです。よって、もしできれば、こんなに嬉しいことはないのです。
なぜなら、発明や開発は答えがない問題に対して答えを出すことだからです。このためには、知識だけではなく知恵(アイデア)が必要です。勉強や学習の習慣が大人になっても続いている人は、あまり、知恵(アイデア)を出す訓練をすることなく、今日まで過ごしてきた人ですから、発明や開発は苦手なのです。
逆に、子供の頃から勉強をあまりしないで、いろいろと工夫して遊んだり、人を笑わせたり、あるいは、人が思いつかないようないたずらをしたり、また、大人になってもあまり勉強をしないで、いつも何かについて考えている人は発明や開発ができると思います。
最近のDNA(遺伝情報)の研究で、生まれつき開発能力を持っている人と、持っていない人とがいる、ということがわかってきました。生まれつき開発能力を持っている人は、考えることや知恵(アイデア)を出すことが元々好きな人です。しかし、たとえ生まれつき開発能力を持っていたとしても、訓練をしなければダメです。また、生まれつき開発能力を持っていない人でも、訓練すれば開発ができるようになります。
なぜなら、DNAが及ぼす影響は、数パーセントにすぎないこともわかっているからです。しかも、人間は本来、本能的に考える生き物だからです。なぜなら、生きるためには、考えて工夫しなければならないからです。人間は何万年もの長い間、考えて工夫しながら生きて来たのです。このために文明が発達したのです。したがって、人間の脳は考えることができるようにできているのです。よって、訓練をすれば良いのです。
通常、考えるという習慣や訓練は学校でも家庭でもあまり行われていないと思います。受験勉強の弊害でしょう。なぜなら、学生時代は勉強しろ勉強しろ、覚えろ覚えろと言われるからです。しかも、入社試験も学生時代の成績が重視されます。ところが、不思議なことに、入社して社会人になると、考えろ、考えろ、知恵(アイデア)を出せと言われるのです。矛盾しています。
学生時代に知恵(アイデア)を出す訓練をしていないのに、社会人になったからと言って、知恵(アイデア)が簡単に出るわけがありません。そのうえ、会社でも知恵(アイデア)を出す訓練をしていないのです。
子供のころに遊び方を工夫したり、遊び道具を自分で作ったりして遊んでいた人は、知恵(アイデア)を出す訓練をすでにしている人です。実は、現在65歳以上の高齢者で、子供のころに貧乏だった人たちは、ほとんが発明や開発ができます。なぜなら、当時、遊びと言えば、
まず、身近にあるものを使って、工夫して遊ぶことでした。例えば、石けり、缶けり、縄跳び、チャンバラごっこ、おままごとなどです。
2つ目は、自然にあるものを利用して遊ぶのです。例えば、鬼ごっこ、かくれんぼ、木登り、魚釣り、昆虫採集、カブトムシや鈴虫などを捕まえて飼う、などです。
3つ目は、身近にあるもので遊び道具を作って遊ぶことです。例えば、竹とんぼ、竹馬、水鉄砲、杉鉄砲、紙鉄砲、弓矢、どんぐりゴマ、お手玉、照る照る坊主、お人形さんごっこなどです。このような遊び道具は自分で作らなければならないので特に工夫が必要です。ですから、知恵(アイデア)を出す習慣や訓練が自然にできたのです。
正月にお年玉をもらった時には、模型の飛行機や模型のモーターボートなどを作って、模型屋が主催する年に1度の大会に参加して、大人と競いました。模型の大きさでクラス分けされていて、速さを競うのではなく、距離と時間を競うのです。いかに長い距離、長い時間、飛ばすことができるか、あるいは走らせることができるかです。
よって、いかに本体を軽くするか、いかに風や水の抵抗を減らせるか、など創意工夫したのです。しかも、入賞すると、1クラス上の模型をもらえるので、来年は上のクラスで頑張ろうと思うのです。
一方、親からいつもこずかいをたくさんもらっている子供たちは、おもちゃ屋で遊び道具を買って遊んでいました。例えば、めんこ、こま回し、凧揚げ、ビー玉、羽根突き、おはじき、などです。よって、知恵(アイデア)を出す訓練をあまりしていません。
特に、金持ちの家の子供たちは、高価な遊び道具を買って遊んでいました。プラモデル、鉄道模型、着せ替え人形、漫画などです。漫画はどうしても続きが読みたくなるので、継続して買うことになり、結局、高価な遊び道具になるのです。実際に、漫画を買えるのは金持ちの子供たちだけでした。
さて、筆者が子供のころの遊びについて書きましたが、もちろん単に、昔の遊びを紹介するのが目的ではありません。遊びを通じて子供のころに創意工夫の習慣をつけたかどうかが重要なのです。もう1つ重要なことは、物づくりの楽しさを知る機会があったかどうかです。
さらに重要なことは、特に金持ちの子供たちは、プラモデル、鉄道模型、着せ替え人形、漫画など、1人で遊ぶことが多くなり、結局、友達があまりできないということです。けんかをすることもなければ、親友ができることもないのです。よって、人の考えや気持ちがわからないということです。
ところで、現在の子供たちのほとんどは、大人が作った遊び道具を買って遊んでいます。その典型例がゲームです。そのため、昔の金持ちの子供たちと同じで、創意工夫(アイデア発想)はできないし、物づくりの楽しさも知りません。そのうえ、いつも1人で遊んでいるので友達もあまりできないのです。
実は、子供たちだけでなく、現在の大人も昔の金持ちの子供と同じなのです。何でも必要なものは買ってしまうし、隣の人と付き合うことなく生活しているのです。よって、親子して創意工夫の習慣もなく、また、人ともあまり付き合わないので、人の考えや気持ちが分からないのです。つまり、顧客の欲求やニーズが分からないので、商品開発ができないのです。よって、発明や開発ができないのは当然なのです。
昔、小学生のころに物づくりの楽しさを知った子供たちは、中学生になると実際に役に立つ物を作っていました。真空管のラジオを作ったり、短波受信機を作って外国の放送を聞いたり、習いたての英語で外国の人と通信(アマチャ無線)をしたりしていました。筆者の高校時代のクラスメートの中には、中学生の時にテレビを作った人が5人(約1割)もいましたし、他のクラスでは電子オルガンを作った人もいました。
また、男子だけでなく、女子も同じでした。当時は、どこの家にもミシンがあって、子供の普段着は母親が作っていましたので、女子も中学生の時には自分で作った洋服を着て、学校に通っていた人もいました。
かつて、日本が驚異的な高度経済成長を遂げたのは、子供のころに創意工夫をして遊んだ人たちが大勢いたからだと思います。以前、放映していたテレビ番組「プロジェクトX」で活躍した人たち、すなわち世界を席巻するような製品を生み出した人たちは、例外なく、子供のころに創始工夫をしながら遊んだ経験がある人たちなのです。早い話が、子供のころに、遊び道具を買ってもらえなかった、貧しい家で育った人たちが、高度経済成長を成し遂げたのだと思います。
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