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開発&コンサルティング

1-2 発明や開発ができる人とできない人

発明や開発ができる人とできない人がいます。発明や開発ができる人は考えることが好きで、理解して覚えることが嫌いな人だと思います。要するに、勉強が嫌いな人だと思います。一方、発明や開発ができない人は考えることが嫌いで、理解して覚えることが好きな人でしょう。勉強が好きで大人になっても勉強ばかりしている人は発明や開発は苦手のようです。

子供の頃からあまり勉強しないで、遊び方を工夫したり、人を笑わせたりしている人はいつも考えている人ですから、考えるのが好きな人なのです。あなたはどちらですか、考えるのが好きですか、それとも理解して覚えるのが好きですか?

勉強することが面白いと思う人は、難しい問題が解けたからでしょう。つまり、ほとんどの人が知らない答えを知っていたか、答えの出し方を知っていたからです。しかし、それは、誰でも努力すればできることです。なぜなら、理解して覚えることを、何度も何度も繰り返し行っていれば、誰でも記憶することができるからです。

しかし、発明や開発はどんなに努力してもできないのです。よって、もしできれば、こんなに嬉しいことはないのです。なぜなら、発明や開発は答えがない問題に対して答えを出すことだからです。このためには、知識だけではなく知恵(アイデア)が必要です。勉強や学習の習慣が大人になっても続いている人は、あまり、知恵(アイデア)を出す訓練をすることなく、今日まで過ごしてきた人ですから、発明や開発は苦手なのです。

逆に、子供の頃からあまり勉強をしないで、いろいろ工夫して遊んだり、人を笑わせたり、あるいは、人が思いつかないようないたずらをしたり、また、大人になってもあまり勉強をしないで、いつも何かについて考えている人は発明や開発ができると思います。

最近のDNA(遺伝情報)の研究で、生まれつき開発能力を持っている人と、持っていない人がいる、ということが分かってきました。生まれつき開発能力を持っている人は、考えることや知恵(アイデア)を出すことが元々好きな人です。しかし、たとえ生まれつき開発能力を持っていたとしても、訓練をしなければダメです。また、生まれつき開発能力を持っていない人でも、訓練すれば開発ができるようになります。

なぜなら、DNAが及ぼす影響は、数パーセントにすぎないことも分かっているからです。しかも、人間は本来、本能的に考える生き物だからです。なぜなら、生きるためには、考えて工夫しなければならないからです。人間は何万年もの長い間、考えて工夫しながら生きて来たのです。このために文明が発達したのです。したがって、人間の脳は考えることができるようにできているのです。よって、訓練をすれば良いのです。

通常、考えるという習慣や訓練は学校でも家庭でもあまり行われていないと思います。受験勉強の弊害でしょう。なぜなら、学生時代は勉強しろ勉強しろ、覚えろ覚えろと言われたからです。しかも、入社試験も学生時代の成績が重視されます。ところが、不思議なことに、入社して社会人になると、考えろ、考えろ、知恵(アイデア)を出せと言われるのです。矛盾しています。

学生時代に知恵(アイデア)を出す訓練をしていないのに、社会人になったからと言って、知恵(アイデア)が簡単に出るわけがありません。そのうえ、会社でも知恵(アイデア)を出す訓練をしていないのです。

子供のころに遊び方を工夫したり、遊び道具を自分で作ったりして遊んでいた人は、知恵(アイデア)を出す訓練を既にしている人です。実は、現在65歳以上の高齢者で、子供のころに家が貧しかった人たちは、ほとんが発明や開発ができます。

なぜなら、当時、家が貧しかった子供たちの遊びと言えば、まず、身近にあるものや自然にあるものを利用して、工夫して遊ぶことでした。例えば、石けり、缶けり、縄跳び、チャンバラごっこ、おままごと、鬼ごっこ、かくれんぼ、木登り、魚釣り、昆虫採集、カブトムシや鈴虫などを捕まえて飼う、などです。

また、身近にあるものや自然にあるもので遊び道具を作って遊ぶことです。例えば、竹とんぼ、竹馬、水鉄砲、杉鉄砲、紙鉄砲、弓矢、どんぐりゴマ、お手玉、照る照る坊主、お人形さんごっこなどです。このような遊び道具は自分で作らなければならないので、工夫が必要なのです。しかも、作った遊び道具を使って遊べば、上手に作った人が尊敬されたり、羨ましがられたり、勝負に勝ったりするのです。ですから、上手に作るための工夫をする習慣や訓練が自然にできたのです。

親からいつも小遣いをたくさんもらっている子供たちは、自分で遊び道具を作らないで、おもちゃ屋で遊び道具を買って遊んでいました。例えば、めんこ、こま、凧、ビー玉、羽子板、おはじき、などです。小遣いをあまりもらえない子供たちは、正月にお年玉をもらった時だけ、これらの遊び道具を買って遊んだのです。このため、これらの遊び道具は正月にはみんなが持っていたので、正月の遊びの定番となりました。

買った遊び道具を使って本気で遊ぶ(勝負する)場合、勝てば相手の遊び道具をもらえるというのがルールです。よって、最初に、本気か本気でないかを確認してから遊びます。この点が、作った遊び道具と買った遊び道具との遊び方の違いです。作った遊び道具で遊ぶ場合には、このような、取ったり取られたりすることはありません。

小遣いをいつもたくさんもらっている子供たちは、勝負に負けて遊び道具を取られても、また買えばよいと思っているので、勝つための工夫をあまりしません。しかし、小遣いをあまりもらえない子供たちは、勝負に負けないような工夫をしたのです。

例えば、めんこという遊びは、めんこを地面を叩きつけて、地面に予め置いてある相手のめんこを風圧で裏返せば勝ちとなり、相手のめんこをもらえるのです。そこで、買ってきためんこをそのまま使うのではなく、めんこに透明の油を染み込ませたり、ろうそくの蝋を塗って重くしておくのです。すると、自分のめんこは重いので地面に叩きつけると風圧が強くなり、相手のめんこを簡単に裏返すことができるのです。また、自分のめんこは重いので簡単には裏返されないのです。よって、いつも勝つのです。しかも、自分のめんこは雪や雨で濡れた地面でも、泥で汚れたり、やぶれたりしないので、長持ちするのです。

コマ回しは長い時間倒れないで回っている方が勝ちです。連続して5回勝てば、相手のコマをもらえるのです。筆者が住んでいる地域で使われているコマは木製のコマです。そこで、勝つための工夫は、まず、心棒を短く切って重心を下げます。重心を下げれば倒れにくくなるからです。次に、心棒の先を円錐形に削って、中心にキリで穴を開け、くぎを打ちます。すると、くぎの頭が地面に当たるので、地面に当たる面積を小さくできるうえ、摩擦抵抗が減ってコマが長い時間回っていられるのです。よって、勝つことが出来ます。しかも、このような工夫をしても相手には気づかれません。

凧は、電線に引っかかったり、糸が切れて遠くに飛んで行ったりするので、買わないで自分で作るのです。竹で枠を作り、障子紙を貼ります。そして、墨で字を書いたり、絵具で絵を描いたりします。また、やぶれないように柿渋や油を塗って丈夫にします。当時、どこの家でも正月には障子を張り替えるので、障子紙がありました。また、木綿の凧糸はすぐに切れてしまうので、丈夫な荷造り用の麻ひもを使いました。麻ひもも、通常、どこの家にもありました。したがって、畳くらいの大きな凧を作って、数人で力を合わせて凧揚げをする子供たちもいました。

また、正月にはお年玉で、模型の飛行機や模型のモーターボートなどのキットを買って作りました。そして、模型屋が主催する年に1度の大会に参加して、大人と競ったのです。模型の大きさでクラス分けされていて、速さを競うのではなく、距離と時間を競うのです。いかに長い距離、あるいは長い時間、飛ばすことができるか、あるいは走らせることができるかです。

よって、このためにいかに本体を軽くするか、いかに風や水の抵抗を減らせるか、いかに長い時間動かせるか、など創意工夫をしたのです。そして、入賞すると、上のクラスの模型のキットを賞品としてもらえるので、来年は上のクラスで頑張ろうと思うのです。

金持ちの家の子供たちは、高価な遊び道具を買って遊んでいました。プラモデル、鉄道模型、着せ替え人形、漫画などです。漫画はどうしても続きが読みたくなるので、継続して買うことになり、結局、高価な遊び道具になるのです。実際に、漫画を買えるのは金持ちの家の子供たちだけでした。他の子どもたちは借りて読んでいたのです。

さて、筆者が子供のころの遊びについて書きましたが、もちろん単に、昔の遊びを紹介するのが目的ではありません。遊びを通じて子供のころに創意工夫の習慣をつけたかどうかが重要なのです。もう1つ重要なことは、物づくりの楽しさを知る機会があったかどうかです。

さらに重要なことは、特に金持ちの子供たちですが、プラモデル、鉄道模型、着せ替え人形、漫画など、1人で遊ぶことが多くなり、結局、友達があまりできないということです。プラモデルや鉄道模型は説明書通りに部品を接着して組み立てるだけなので創意工夫は必要ありません。また、組み立てたら人に見せて自慢するだけです。よって、けんかをすることもなければ、親友ができることもないのです。よって、人の考えや気持ちがわからないということです。

ところで、現在の子供たちのほとんどは、大人が作った遊び道具を買って遊んでいます。その典型例がゲームです。そのため、昔の金持ちの子供たちと同じで、創意工夫(アイデア発想)の習慣はないし、物づくりの楽しさも知りません。そのうえ、いつも1人で遊んでいるので友達もあまりできないのです。

実は、子供たちだけでなく、現在の大人も昔の金持ちの子供たちと同じなのです。必要なものは何でも買ってしまうし、隣の人と付き合うことなく生活しているのです。よって、親子して創意工夫の習慣もなく、また、人ともあまり付き合わないので、人の考えや気持ちがわからないのです。よって、顧客の欲求やニーズがわからないので、商品開発ができないのです。したがって、発明や開発ができないのは当然なのです。

昔、小学生のころに物づくりの楽しさを知った子供たちは、中学生になると実際に役に立つ物を作っていました。ラジオを作ったり、短波受信機を作って外国の放送を聞いたり、遠くの人と通信(アマチャ無線)をしたりしていました。筆者の高校(工業高校)のクラスメートの中には、中学時代にテレビを作った人が5人(クラスの約1割)もいましたし、他のクラスでは電子オルガンを作った人もいました。

また、男子だけでなく、女子も同じでした。当時は、どこの家にもミシンがあって、子供の普段着は母親が作っていましたので、女子も中学生の時には自分で作った洋服を着て、学校に通っていた人もいました。

かつて、日本が驚異的な高度経済成長を遂げたのは、子供のころに創意工夫をして遊んだ人たちが大勢いたからだと思います。以前、放映していたテレビ番組「プロジェクトX」で活躍した人たち、すなわち世界を席巻するような製品を生み出した人たちは、例外なく、子供のころに創始工夫をしながら遊んだ経験がある人たちなのです。早い話が、子供のころに、遊び道具をあまり買ってもらえなかった、貧しい家で育った人たちが、高度経済成長を成し遂げたのだと思います。

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