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開発&コンサルティング

第33回 経営者は経営学を学ぼうとしない

多くの経営者は、経営学を学ぼうとしない。その理由を聞くと、経営学は実際の経営には何の役にも立たないからと言う。しかし、景気の悪い時ほど、また、業績が悪い時ほど基本に立ち返って経営学を学ぶべきだと思う。

経営学は実際の経営には何の役にも立たないと言うが、それはなぜであろうか。そもそも経営学は何のためにあるのだろうか。経営学の入門書を見ても経営学の目的はどこにも書かれていない。経営学者が経営学の目的を明確にしたくないからである。なぜなら、目的を達成できるほど経営学が発達していないからであり、欧米でも日本でも未だに経営学を学問と認めていないからである。

本来、全ての学問は人の役に立つものでなくてはならない。役に立つためには科学として発達し、さらに、技術としての発達が必要である。ところが経営学は科学としても技術としても充分に発達していない。したがって、役に立つまでには至っていないのである。

経営学はアメリカでは1911年に、技師であったF・W・テイラーによる『科学的管理法』によって、実践的技術として生まれた。フランスでは1916年に、経営者であったアンリ・ファヨールによる『産業並びに一般の管理』によって、やはり実践的技術として生まれた。ドイツでは商業学から研究が始まり、工業をも含めた『経営経済学』(ベトリープズ・ビルトシャフト・レーレ)として1919年に生まれた。そして、科学として発展した。

一方、日本ではドイツと同様に商業学から研究が始まり、1908年に『商工経営』の講座が始めて東京高等商業学校(現一橋大学)に開始されたのが始まりである。こう見てくると経営学の誕生は日本が世界で最も古い。

大学では経営学を技術としてではなく科学として捉えようとしている。経営学は科学すなわち真理の探究が目的であって、技術すなわち実用性と経済性の探求が目的ではないとするのである。そうしないと学問として認められないからである。

金儲けのための技術は学問ではないから、大学で研究する価値はない、と考えるのである。その証拠に、現在、国立大学で経営学部があるのは神戸大学と横浜国立大学だけである。どちらも新制大学であり、貿易が盛んだった神戸と横浜にあった商業学校が前身である。このため、他の国立大学が経営学部の新設を申請しても認められることはない。

一橋大学は商学部に、また、東京大学は経済学部に経営学の講座が置かれているが、経営学は学問としては認められていないので、経営学者は未だに肩身の狭い思いをしているらしい。ちなみに、私立大学ではほとんどの大学に経営学部がある。それだけ、社会のニーズが高いのである。

アメリカでも経営学は大学より、ビジネススクールの方が盛んである。アメリカでは当初から経営学を専門経営者養成のための学問と捉えている。よって、優れた経営者が経営学者になることはアメリカではよくあることである。逆に、経営学者が経営者になることもよくある。しかし、日本ではどちらもあまりない。

日本のほとんどの経営学者は、学者になるまで学校に通い続け、研究対象である企業を経験していない。自分で会社を経営するどころか、会社に勤めたこともない経営学者もいる。したがって、実際の企業を全く知らない。そういう経営学者の言うことに経営者が耳を傾けるわけがない。

日本の経営学者の主な仕事は欧米の経営学者が書いた本や論文を翻訳して日本に紹介することである。よって、本来行うべきことを行っていない。本来行うべきことは日本や欧米の実際の企業経営について調査研究を行い、研究結果を論文や本に書いて世界に紹介することである。

ところで、かつて、有名な経営学者であった坂本藤良という人は、「経営学者は経営の専門家なのだから、会社経営ができるはずだ」として会社を作ったのだが、結局いくつも会社を作ってはつぶした。そして、いみじくも、経営学者は経営ができないことを証明してくれた。それでも、自分の信念を曲げずに実行したこの人は見あげた人だと思う。

アメリカでは実用主義(プラグマティズム)により、役に立たない学問は学問ではない、と考える。したがって、アメリカの経営学は役に立つはずである。ところが、実際の企業経営は非常に複雑でなかなか解明できないため、残念ながら役に立つまでに至っていない。つまり、学問が実際の経営よりはるかに遅れているのである。

その証拠に、経済学には経済史、経済理論、経済政策の分野があり、過去、現在、未来の研究がかなり進んでいるが、経営学には経営史と経営理論はあるが、経営政策については研究がほとんど行われていない。それは、経営史研究が遅れているためである。過去の実際の経営についての研究が進まなければ理論も政策もありえない。しかもそれは非常に難しい。なぜなら、実際の経営は個々の企業の問題であり、本来、企業秘密に関わることだからである。

このため、アメリカでは、企業秘密にかかわることもできるだけ公にしようとしている。例えば、大企業の取締役会の議事録は公開しなければいけないことになっている。このため、100年前の会社でも経営状態が良く分かる。だから、アメリカでは経営学が発達するのである。しかし、まだまだ役に立つまでには至っていない。

だからと言って、経営学が全く役に立たないわけではない。特に基本的な問題はかなり解明されている。日本の経営者はどういう手を打てば良いかが分からないときに、流行に左右されたり、人まねに終始したりするが、現在置かれている状況を良く考えて、経営の基本に立ち返ってみればきっと役に立つ。そんな時に、日本の戦国武将に学ぼうとする経営者がいるが、それよりも、やはり経営学の基本書を読んだり、実際の企業経営者が書いた本を読んだりした方がずっと参考になると私は思う。

なぜなら、経営学など全く役に立たないという経営者の中には、経営学の本を全く読んでいない人もいるからである。全く読んでいないのに、なぜ役に立たないと言えるのか私には分からない。さらに、大学で経営学を勉強したという経営者の中にも、経営学は役に立たないという人がいる。しかし、良く聞いてみると、経営学を実践で活用したことがないと言う。役に立たないから活用しないと言う。活用したことがないのに、なぜ、役に立たないと言えるのかも私には分からない。

さらに、疑問がある。どのような学問分野でも、本に書かれていることはそのままでは実際の役には立たない。このことを知らない人が、経営学は役に立たない、と言う。このことは医学と比較してみれば良く分かる。例えば、ある患者(仮にAさん)を治療する方法はどの医学書にも書かれていない。よって、医学書を読んでもAさんを治療する方法は分からない。

Aさんを治療するには、まず、Aさんを診断し、病名とその原因を特定しなければ、治療法は分からない。いくら、医学書に治療法が書かれていても、Aさんがどのような病気にかかっているかが分からなければ、医学書は役に立たない。したがって、まずは、診断技術を習得する必要がある。しかし、診断技術を習得するためには、多くの医学書を読み、多くの診断経験や治療経験が必要なのである。

経営についても全く同じである。会社がどのような病気にかかっているのかが分からなければ、経営書をいくら読んでも役に立たない。景気が悪い時ほど、また、業績が悪い時ほど、基本に立ち返り、経営書を読むことをお勧めする。そうすれば、会社の病気の原因が少しは分かるかもしれない。

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