現在は学歴も資格もあまり当てにならないことは誰でも知っている。そのうえ、立派な学歴や資格を持っていてもつまらない仕事をしている人達はたくさんいる。彼らは人生をムダにしているとしか思えない。
一般に学歴社会というのは、学歴のある人を重視して、しかるべき地位に就かせたり、しかるべき仕事を任せたりする社会である。大企業には立派な学歴のある人がゴマンといる。また、博士号を持っている人もたくさんいる。しかし、その中には仕事ができない人もたくさんいる。それでも、長い目で見れば、やはり学歴のある人の方がいい仕事をするだろうと考えて、引き続きその地位に付かせ、その仕事を任せる。難しい勉強に取り組んできたので、難しい仕事もできるだろうと期待するからである。
しかし、学歴取得や博士号取得を目標にしてきた人達が、取得後に一生懸命仕事などするわけがない。「今までで最も勉強したのはいつですか」という質問に対して、多くの人が「大学受験の時」と答えることでも分かる。いずれにしても、人事考課が実力を重視して行われないために生じる悲劇である。学歴や資格重視の人事考課は国家の損失である。
ある製薬会社の社長から役員の教育を依頼されたことがある。そこで、何のための教育かを聞いてみた。すると驚いたことに、「学校と企業とは違う」ということを教えて欲しい、と言う。新入社員じゃあるまいし、と思ったが、実際に役員会に出席してみてわかった。彼らは日ごろ、いかに企業業績を上げるかを考えているのではなく、いかにいい論文を書くかを考えているのである。
製薬会社の業績は新薬の売れ行きに左右される。しかし、新薬の開発は長い期間研究が必要になる。そこで、新薬の開発研究と称して、自分の好きな研究テーマに没頭する。その結果、新薬は生まれず博士号ばかりが生まれる。最初彼らは、自己紹介するときに、医学博士ですとか薬学博士ですとか言って、どんな仕事を担当しているのかを全く言わなかった。そこで、私は何気なく、「博士号というのは売り上げにどの程度貢献するのですか」と聞いてみた。すると、全員が黙ってしまった。後で社長からよく言ってくれたと感謝された。
国家資格に関しても問題がある。会社員の中にはろくに仕事をしないで国家資格を取得することに一生懸命の人がいる。ろくに仕事をしないのであるから、そんな人が大勢いる会社は業績が上がらない。実際、一生懸命に仕事をしていたら試験には合格しない。彼らは実務を習得しながら勉強する。よって、会社は資格を取得し独立するための予備校となる。
サラリーマンの夢は独立開業にある。ところが、驚いたことに国家資格取得を奨励し、取得者には手当てまで支給している会社がたくさんある。ろくに仕事をせずに勉強し、早く資格を取得し、退職して独立開業するのを奨励しているのであろうか。仕事の実力を正しく評価できないため、国家資格取得で仕事ができると判断してしまうのである。
一方で、資格を取得しても、独立開業できず、また、仕事もできない人が多い。例えば、最近新聞をにぎわしている公認会計士である。彼らは監査法人のサラリーマンであり、資格を取っても使われる身なのである。また、会計監査や業務監査と言っても名ばかりで、実際には単に事務処理をするだけである。税理士も同様である。たとえ、独立開業できたとしても、税法に沿って計算処理するだけである。自分の意見や主張などほとんどできない。不動産鑑定士も同じである。依頼人の意向に沿って鑑定手続きをするだけである。専門家としての意見を書くことなど全くない。しかも、彼らの仕事はワンパターンである。来る日も来る日も同じ事務手続きをするだけである。
実際すべての仕事を女子事務員に任せ、自分は最後に著名捺印するだけ、という人が多い。実にかわいそうな人達である。そこへいくと経営コンサルタントは実にいい。提案する、助言する、すなわち自己主張するのが仕事なのである。主張しなければ仕事にはならない。それに学歴も資格も必要なければ何の制約もない。全く自由で実力次第である。ただし、常に実力を磨かなければいけない。企業より常に一歩先に行っていなければならないのだ。したがって、学校を卒業しても勉強し続けなければならない。しかし、最も勉強し甲斐があり、最も働き甲斐のある仕事である、と思う今日このごろである。
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